2025年1月17日、香川県のことでんが太田〜仏生山に整備予定の新駅の名称が「多肥駅」となることを発表しました。周辺には県立図書館や大学キャンパスなどがあり、高松市は市南部の交通結節点を目指します。 多肥駅は画像奥の高架下付近に設置される 隣の太田駅から目視可能な近さ 伏石駅以来6年ぶりの琴平線新駅 多肥駅が新設される高松市の多肥地区は現在も人口増加が続く地域。周辺には2022年12月にオープンしたハローズ多肥店など新規に開店した店も多く、少し先には、展示場「サンメッセ香川」や県立図書館・文書館、香川大学林キャンパス(創造工学部)、県立高松桜井高校があるなど文化・教育の拠点ともなっています。 多肥駅の詳細な位置としては、太田駅から南に約400メートルほどにある県道太田上町志度線の高架下付近です。東西に改札口が設けられ、駅員も配置。 双方にバスやタクシーが乗り入れ可能な駅前広場が作られます。 新駅・駅前広場ともに、2026年度中の開業を目指しています。 伏石駅と路線バスのりば ことでん琴平線では2020年11月開業の伏石駅(三条〜太田)以来約6年ぶりの新駅です。 多肥駅開業にあわせ、太田〜仏生山の単線区間を複線化。現在複線化が進む栗林公園〜三条と合わせて、高松築港〜仏生山の約8キロが完全に複線化されます。これにより、新駅開業による所要時間増加や遅延の防止につながるとしています。 高松市南部の交通結節点になれるのか 伏石駅は広域都市間輸送や市の中心部から市の広域的な範囲の輸送、循環バスの拠点として整備された駅で、多くの高速バス路線の乗り入れを意識していたように思われます。 しかし、なかなか高速バスの乗り入れは進まず、現在乗り入れているのは高徳エクスプレス号と、2024年12月に停車を始めたハローブリッジ号(新宿・東京・横浜〜高松・丸亀)に留まっています。 それに対し、多肥駅が目指すのは、 市南東部の交通結節点 。県立図書館や大学キャンパスを結ぶフィーダーバスや、市南東部を走る路線バスと電車の乗り継ぎ拠点にし、路線バスの運転手不足などに対応したいようです。 現在、市の中心部から県立図書館と大学キャンパスへの公共交通アクセスとして主に使用されているのは、伏石駅を発着する、ことでんバス「伏石駅サンメッセ線」です。運賃は一律150円と比較的安く設定されており、ICカード「Iru...
今回、ムーンライトながらが廃止になることがJR東海から発表されましたが、ムーンライトながらとはどんな列車だったのでしょうか。この記事ではムーンライトながらが廃止になるまでの流れについて説明します。
①ムーンライトながらとは
ムーンライトながらとは東京と大垣(岐阜県)を結んでいた臨時の夜行快速のことです。2009年までは定期列車として運転されていましたがそれ以降は臨時列車になりました。(青春18きっぷが使用できるシーズンに運転されていた。)そして2021年1月にムーンライトながらの廃止が正式発表されました。
②名前の由来
「ムーンライトながら」の名前の由来は、「ムーンライト」が直訳すると夜行列車であることが分かる「月の光」、「ながら」は沿線の鵜飼いで有名な長良川となっています。なお、定期列車の時に使われていた373系のムーンライトながらのヘッドマークには鵜飼いが描かれています。
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③前身の「大垣夜行」とは
ムーンライトながらが運行を開始したのは1996年(平成8年)3月のダイヤ改正からです。それまでは東京~大垣間には「大垣夜行」という夜行普通列車が運転されていました。
その大垣夜行の起源は1889年(明治22年)に東海道本線の新橋~神戸間が開業した時に設定された夜行の普通列車です。当時は列車の速度が遅いので長距離ですと夜も運転しなければなりませんでした。その後、増発されましたが、1967年(昭和42年)までに優等列車の増発のため、東京~大阪間の列車1往復と豊橋から東京への列車1本に削減されました。
④生き残った大垣夜行
前述した夜行普通列車も客車列車だったため、合理化のために1968年(昭和43年)10月の通称「ヨンサントオ」ダイヤ改正で廃止することが決定しました。しかし、廃止反対の要望書が多数国鉄に寄せられたため、臨時急行を普通列車化し、急行形車両を使用して東京~大垣間で運行することになりました。乗客からは大垣夜行と呼ばれるようになりました。
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列車の人気は高かったようで、1982年(昭和57年)に青春18きっぷが発売開始すると、有効期間中は車内は非常に混雑していたようです。また、新幹線などの最終列車を逃した人も多く乗車していました。国鉄がJR化しても大垣夜行は運転を続けられ、貴重な夜行普通列車は生き延びました。
⑤快速列車に、臨時列車に。
1996年(平成8年)3月のダイヤ改正に混雑の解消などを狙って特急などに使われる373系の指定席列車、快速「ムーンライトながら」となりました。21世紀になると安い値段で乗れる高速バスが増え、利用客が減りました。2009年(平成21年)には臨時列車となり、JR東日本の特急形車両で運転されることになりました。臨時列車になっても青春18きっぷを利用する人などが多数乗車していました。
⑥「列車の使命」
国内ではながら以外にも「ムーンライト◯◯」という列車が複数ありましたが、徐々に運転が休止(廃止)されていき、このムーンライトながらが最後の「ムーンライト◯◯」の名前の、また、最後の夜行快速列車となりました。車両の老朽化が進み、大垣で留置する時間が確保できる新型車の本数もなく、採算性もあまりないことから、2021年(令和3年)1月に列車の使命が薄れてきたこと、車両の老朽化が進んだことを理由に廃止される(された)ことが分かりました。その前年には春期の運転しか行わなかったため、ラストランはその春期の運転となりました。JRからサンライズ出雲・瀬戸を除く夜行列車、「ムーンライト◯◯」の列車が無くなりました。
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